開業当初の2007年ごろ、
浅草で、「あんこの天ぷら」が流行っていました。
エビや野菜と同じように、あんこを菜箸で持って衣をくぐらせて揚げる文字通り「あんこの天ぷら」だったようです。
また東京では御門屋さんというお店が揚げまんじゅうを販売していました。こちらは円盤型で、やわらかな食感のお土産に適した商品だったと記憶しています。
「饅頭を揚げる」というものはもうこれ以外はなかったと思います。
2007年当時はまだガラケー全盛。
情報が炸裂している現在とは時代が違います。
もしかしたら、どこかには存在したのかもしれません。
が、私は「サクサクの揚げ饅頭」は日本のどこにもない(又は、すごく珍しい)。
だから面白そう、と単純にそう考えました。
これは行けるのではないかと。
もともと揚げ物も好きでしたし。
商品は「サクサクの揚げたての食感の揚げ饅頭」に絞って、2007年の夏に開業しました。
商品の開発研究をしているなかで、様々な助言を受けました。
もっとも印象深かったのが、とある和菓子界の重鎮の言葉。
「1日目の味で勝負したらアカン」
「2日目3日目の味で勝負しなさいよ。じゃないと失敗するで。皆んなそうしてるんやで」
できたてが美味しいのは当たり前。
味はみるみる変化(劣化)するので、1日目の「サクサクの味」で勝負してしまうと、管理ができない。
それでは商品にならない。お客さんも困る。だから、味が落ち着いた2日目3日目のところで完成品となるような製法やレシピを考案しなさいよ、という助言です。
まったくその通りです。
今ならその真意は分かるのですが、当時の私はまったくの天の邪鬼でバカ。
「皆んなが2日目3日目の味で売っているんだったら1日目の味で勝負しよう」
条件反射的にそう考えました。
「皆んなは2日目3日目の味で売っているのか」
「じゃ俺だけ1日目や」
「いえーい♪」
助言の真意を理解せず、そのように考えました・・・。
予言は的中し、天ペロは何年も苦しむことになりました。
1日目の味でやっていく。
これはいばらの道でした。
経営的にはいつ潰れてもおかしくない状態に陥りました。
情けなさでよく頭をかきむしっていました。
資金繰りが瀕死レベルから、ぎりぎりなんとか生きれるかも?というレベルになったのは、ある時からけっこう大口な注文が頂けるようになったからです。
かりんとう饅頭は、意地でもサクサクの高品質を保っていました。
油で揚げるものなので、いつか油を交換しなければなりません。
油は高いです。貴重なものです。
まだ全然余裕でコロッケでもトンカツでも揚げられるクリアな状態でも、バンバン廃油にしていきました。コープさんやデパートなどの品質管理に厳しいところから、いつ抜き打ちで調査されても「まったく酸化してないよね」と言われていました。ほとんど新品同様で廃油に回しているんですから当然のこと。
油は大切な資源ですが、廃油は必ず濾過され、様々な業界に回っていくので、捨てられることはありません。うちが損するだけです。
「味はもういい」
「売り方を考えろ」
「宣伝しろ」
色々言われましたが、結局、宣伝活動には手が回りませんでした。ひたすら「なんでもっと美味しくならへんねんっ」とイライラしながら考えては実験をしていました。
かりんとう饅頭のレシピは開業時からバンバン変化しています。
隠し味をたくさん入れれば美味しくなる。
カレー初心者と同じように最初はそんなふうに考え、ちょこまかと色んなものを添加していました。
やがて「これほんまに必要か?」という疑問から、原材料をどんどん削って行く時期が訪れました。
行きついたところは必要最小限の非常にシンプルな原材料でしたが、そこまで4,5年はかかっていたと思います。
最後の最後に「竹糖糖蜜」という、和三盆糖を製造する過程で生じるドロドロとした見た目は重油のような粘っこい物質を加えることで完成したのが「天ペロかりんとう饅頭」です。
この竹糖糖蜜というものは、非常に独特な液体で、猛烈に濃い、甘酸っぱいしろものなんですが、加熱すると非常い深い、えも言えない甘さに変化します。
さすが和三盆糖の副産物といえる複雑な旨味をもっています。

経営は大変無様な道を歩みましたが、ある時から店頭に何人も友人を連れてきては「食べてみ!?」と言って食べさせ、反応を見て喜ぶ。そういったコアなお客様が少しずつ現れてくださったおかげで、ぎりぎり首の皮一枚で死なずに済みました。
当初、当店には電気屋さんの看板がついたままで、ショーケースもない、なんの店か分からない状態です。風情もへったくれもありはしません。そんなところによく買いにきていただけたものです。
サクサクの揚げ饅頭というものが市場になかったのと、味や品質へのクソ意地が通じたのか、少しずつ少しずつ支持され始めたのだと思います。
確か2015年ぐらいだと思いますが、かりんとう饅頭ブームというものが到来しました。千載一遇のそのブームには全く乗れませんでした笑。が、市場にかりんとう饅頭というものが認知されたのは良かったかもしれません。
黒糖ベースの蒸し饅頭を揚げる、という製造方法は同じです。ならばと、お客さんへの分かりやすさを重視して当店もかりんとう饅頭という名称を使うようにしました。
ずっと研究していたので、商品レベルは常に上がっていきました。
「あーーーやっと極めた・・・・」
「昨日までのお客さんに謝りたい・・・・」
そんなことを何度も思いました。
今までの生地と違うと、製造にあたっている天ペロシスターズも慌てて走ってきます。「ごめんごめん」と何度も謝りました。
今はもうこれ以上はないだろうと、自信をもって製造販売しているんですが、やはりまだ試作や微調整はくりかえしています。
常に変化してきた「天ペロかりんとう饅頭」の今を是非お楽しみください。